ネオたぬ記

読んだ本の感想。見聞きしたこと。

被害と加害の考え方 読んだ:山田由紀子/AKIRA『つぐなうために 受刑者が見た修復的司法の真実と光』

修復的司法とはなにか

 数年前から「修復的司法Restoractive Justice」という刑事司法の考え方に興味をもっています。諸々のニュースや、この数年間自分のかなり身近で起きた諸事件や人間関係上のトラブルを前にして被害・加害、罪・罰といった問題について、どうにかもう少し納得のできる考え方、解決を考えられないかという思いが深くなり、その過程で「修復的司法」が気になっていた、という感じです。かならずしも法律上の刑罰に関心を限定しているわけではありませんが、なにしろ興味を持ったっきりまともに「修復的司法」について学べてこなかったので、今後少し意識的に勉強していきたいと思っています。

 最初にさっと読めそうなものを探して、こんな本を読んでみました。

山田由紀子/AKIRA『つぐなうために 受刑者が見た修復的司法の真実と光』新科学出版社、2020年

 NPO法人「対話の会」という少年事件を中心に修復的司法を実践しているNPO団体があり、山田氏はそこの理事長を務めている弁護士です。被害者と加害者を直接会わせて対話をさせるときくと、素人としてはかなりぎょっとします。が、本書のメインパートではないので詳細は割愛しますが、「対話」を成立させるまでには繰り返しの面接、特に被害側への慎重を期した接触、対話のルールの設定、必ずしも被害者加害者間での「合意」を目指さないなど、かなり細やかで慎重な準備がされていることが本書の終わりで解説されています。

 

 山田氏は、修復的司法について以下のように説明しています。

 修復的司法の特徴を、既存の刑事司法と比較すると、既存の刑事司法が〈犯罪を国家の決めた法を犯すことととらえ、国家が犯罪をおかした人を処罰するのが刑事裁判、つまり犯罪に対して国家対被告人という関係で対応するもの〉であるのに対して、修復的司法は〈犯罪を地域社会の中に起きた害悪ととらえ、この害悪に対して被害者・加害者・地域の人々が自分たちの力で埋め合わせするという対応をするもの〉です。イメージとしては、地域の通学路や生活道路に大きな陥没ができてしまったとき、その工事を国や自治体任せにするのではなく、加害者・被害者・地域の人々が自分たちの安心・安全な生活を回復するために協力して埋め合わせようとするのが修復的司法と言ってよいでしょう」(83頁)

 通常の刑事司法ではルール(法)を犯した人物に対する国家による刑罰が制度の中心に位置するけれども、修復的司法の立場からすれば、それは事件によって実際に生じた「害」の修復にはつながりません。既存の刑事司法は、被害者の受けた被害を回復させるものでもないし、またそもそも加害者に自らが犯したことの意味・責任を認識させ、反省させる(=更生させる)システムでもない、と。これは、特に加害者については理解できます。刑務所にはいることになったとしても、「不自由だ」という認識から「こんな不自由な目にあうなら今後は犯罪をしないようにしよう」までは距離がありますし、そこから「被害者も辛い思いをしただろうな」「加害者として申し訳ない」と思うにはさらに一層の距離があります。

 こうした生じてしまった害の修復(被害者の回復、加害者の主体的な反省)を実現するためには既存の刑事司法ではなく、修復的司法によらなければならない、というのがこの立場の人々の主張です。山田氏の立場――これは修復的司法のうちでも、「純粋論者purist」とよばれる立場の考え方のようです――からすると、生じた害の修復のためには、特定の犯罪の利害関係者(被害者、加害者、地域社会)が直接面談し、かれら自ら解決策を決定していくことが重要になります。

 こうした考え方は、国家的・自由主義的な解決ではなく、社会的・共同体的な解決を目指している印象をもちます。そしてまたこうした発想は現代日本ではあまり支持を受けないだろうな、とも同時に思います。批判ではなく、日本社会の現状・思想的雰囲気・被害者支援の弱さからして、です。

 

受刑者はなぜ謝罪をしたいと思ったか

 本書は修復的司法の理論を説明するものでも、論争をしているものでもありません。山田氏に届けられた刑務所服役中であった受刑者のAKIRA氏の手紙、そこからはじまった往復書簡の記録です。強盗、窃盗等で懲役17年の判決を受けたAKIRA氏は、長い刑務所生活の中で自らの加害を認識し、被害者に謝罪と弁償を行い、そして8年目に「対話の会」理事長の山田氏に修復的司法について教えてほしいと連絡をとるに至り、書簡のやり取りが始まります。

 

 手紙をうけとった山田氏からAKIRA氏に投げかけられた最初の問いは以下のものです。

「AKIRAさんは、逮捕され懲役17年の判決を受け刑務所で5年の受刑生活を送っても、奈良少年刑務所に行くまで、真に犯した罪の重さを認識して自分自身と向き合い被害者のことを思いやることができなかったそうですが、それはどうしてなのでしょう。一般の人や国の制度は、逮捕や刑事裁判での審理、重い判決、厳しい受刑生活などが犯罪者に反省をもたらすと信じていると思うのですが」(15頁)

 そしてAKIRA氏は自身が逮捕された時の想い、被害者に謝罪をしたいと思うにいたる過程、そして自身が人生の中での強盗や窃盗を実行し、正当化するにいたった経緯を語ります。本書の大部分は、山田氏の質問に促された、AKIRA氏の歩みと反省の記録です。そして山田氏はそこでのAKIRA氏の経験や模索に、「修復的司法への旅路」を見出したわけです。それは、刑罰や不自由とは異なるところで生じた、加害者による能動的な反省とその実践でした。

 書簡の中では、高卒資格を得るために通信制過程受講生となり、奈良少年刑務所およびそこでうけた高校教育が大きな転機になったことが語られています。

 刑務所内での更生プログラムTherapeutic Community回復共同体の様子を記録した、坂上香『プリズン・サークル』(2020年公開)というドキュメンタリー映画があります。とてもよい作品だと思いますが、この中でインタビュアーと色々な話をした受刑者が、最後にインタビュアーと握手をしたいと刑務官に許可を求めたところ、あっさりと断られるというシーンがあります。AKIRA氏が自身が反省に至る過程で受刑者高校生6人のためだけに開かれた卒業式を以下のように回想している箇所で、『プリズン・サークル』のそのシーンを思い出しました。

 「…教員の方は、中には涙を流し、あるいは握手や抱擁、激励の言葉をもって祝福してくださり、私自身も目頭が熱くなり、高校を卒業した喜び以上に、自己肯定感の高まりを覚え、人の優しさ・温もりが私を更生へと導いてくれました」(28頁)

『プリズン・サークル』でも「処罰から回復へ」がそのメインメッセージとなっていますが、人が主体的に反省をし他者への加害を認識するのは、厳しい処罰や不自由を与えられたときではない、ということがAKIRA氏の回顧では語られています。AKIRA氏が、「自らの犯した罪に対する責任」を自覚することのない生き方として「受動的な生活」(29頁)という表現をしているのは象徴的です。

 

加害者像を考える

 山田氏は、本書を出版しようとおもった理由の一つとして、ある法学部での授業の経験をあげています。学生200人ほどの講義で、「受刑中の加害者は被害者への謝罪や償いをしたいと思っていると思うか」と質問したところ、圧倒的多数の学生が「思っていないと思う」と答えたという経験で、山田氏はこの反応は社会一般の反応を象徴するものであるとしています。しかし、AKIRA氏がそうであるように、また彼が刑務所であった人々もそうであるように、この加害者像は少なくとも全員には当てはまりません。また『プリズン・サークル』が映し出したように、加害者であることはその人間の一側面を我々の社会が強く照らしているにすぎません。

 現在の刑事司法、そして加害と被害のあり方のベースにあるのは、「加害者は謝罪や反省などしていないし今後もしない」という確信と、被害者のうけた傷は刑罰(厳罰)という形以外では基本的に表現できない、という大前提だと思います。生じた「害」の修復などどうせできないのだから、、という感じでしょうか。被害者への向き合い方として、また加害者への向き合い方として、これはどこまで正しいのか。考えの整理はまだつきませんがもう少し考えていきたい問題です。

 

 

最後に少し脱線(?)

 全ての事例にあてはまるわけではありませんが、いくつか見てきた被害の問題で深刻だなと思ったのは、ある具体的な事件が起きた際に、被害者が負った傷が必ずしもその瞬間に初めてできた傷ではないように見えることです。これはいうまでもなく加害者が加害行為をなしたということを免罪するわけではありません。さりとてそうした事例においては、被害者が負った痛み、傷の深刻さは実際のところその加害者のみによって生じたわけではない、というように自分からは見えました。いわば、古傷を開いてしまったことによる積み重なった痛みです。被害者がその人生の中で負わされてきた傷の問題です。そして端的に言ってしまうと、被害者が過去に負った傷の分まで加害者が補償をすることはできず、より長期的な「修復」、「回復」は加害者の罪の重さとは別の論点なのではないか、という気がしています。むしろ、本書の言葉を借りるなら、生じた「害」の利害関係者としては、狭義の加害者以上に地域社会・共同体の比重と責任が重くなるのではないかと。これは本書とは直接は無関係な上に、いまだどう考えればよいのかわかってないことなのですが。

 

 本書は修復的司法を加害者の更生・謝罪にクローズアップしてその具体例を描いたものです。被害者にとっての修復的司法の意味・説得力、それから修復的司法が法律上はどのように反映されるべきなのかなど、これからさらに勉強を続けていければと思っています。