ネオたぬ記

読んだ本の感想。見聞きしたこと。

ちょっと余裕のできた日々。そして読書の再開。

かなりひさしぶりの日記になりました。

活動量が多かったわけではないのにいろいろと忙しい日々が続き、ようやくひと段落かな?という状況。気温がおちてきたので、体をあたたかくして過ごしていきたいです。体調もおもったよりはいい感じ。

おいしいものをしっかり食べていきたい。

 

 

覚えている範囲でこの間読んだ本のメモを。

 

金城一紀レヴォリューションNo3』2001年

友人に明るくて楽しい気持ちになれる小説とか教えてくれ、とたずねたところこの本を紹介されました。都内の落ちこぼれ高校生たちの青春劇。おもしろかったー。勢いがあって一気に読めた。ゾンビーズ・シリーズなるシリーズ物の第一作で、他も面白いとのことなので近いうちに読んでみようと思っています。書き下ろしの最終章「異教徒たちの踊り」が特にそうでしたが、かなり昔に読んだ『Go』(ほぼ同時期の本らしい)の読後感をうっすら思い出しました。まだ言葉にできませんが。金城一紀は1968年生まれ。この読後感が世代のものなのか、もうちょっと違う立場やスタンスのものなのか、みたいなことも少し考えたり。以前、在日3世の友人に「『GO』はどう思う?」ときいたところ、「あれは自分たちの1つ上の世代の話って感じなんだよね」と返ってきたことがありました。たぶん読後感と関係するんだろうなと思います。

なお、友人には明るい小説を教えろといったのに、話の序盤では主人公の親友が急性白血病で死にます。明るくない。。いい本ですけどね。

 

若林正恭『ナナメの夕暮れ』2018年

書いた時期が長期におよぶからか、結構読みづらい。傑作の『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』にはだいぶ劣るけれども面白かったです。終盤の書き下ろしの部分の方がいい。増補された文庫版を読むべきだったかもしれない。『表参道~』の着地点がどこにあるのか、興味津々のファンは結構多いのではないでしょうか。この本はまだ中間総括くらい?

 

山里亮太『天才はあきらめた』2018年

若林の本を読んだ流れでこちらにも手を出してみた。南海キャンディーズ山里の半生記ですが、一言でいえば「笑える自己啓発本」という感じ。著者は「天才」を、苦も無く努力をし成果を上げていく人たち、と規定しているようで、そのような意味で「天才」ではなかった自分が、いかにしてネガティブな感情や他方での過剰な自信を制御し、芸の道にエネルギーを注ぎこんでいったかがその具体的な工夫とともに書かれています。生き様が面白い一方で、自分にはすこし胸やけ。本書は相当な数売れたようですが、こんなご時世、わかる気がします。

 

・たつなみ『すこしずるいパズル』2021年

世話になっている先輩からプレゼントしてもらいました。「読んだ」というより「遊んだ」。パズル・クイズ本で、一人でやっていると「ああーわからん!」となり、ヒントを読み進めていくと「なんでヒントなしでわからなかったんだ!くやしい!」と思わされる絶妙なラインの問題がたくさん。思い出したときにちょこっとずつ挑んでおります。いい本をもらいました。人にプレゼントしたいとき、相手の年齢問わず有力候補。

 

高野秀行『アヘン王国潜入記』(2007年。『ビルマ・アヘン王国潜入記』1998年の文庫版)

「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」をポリシーとするノンフィクション作家(探検家?)の高野秀行が、自分の仕事の「背骨」にあたると自負した著作。世界最大のアヘン生産地域であるゴールデントライアングルの中核にしてミャンマー少数民族が「国家」を築くワ州に潜入した約半年の記録。

著者はアヘンのためのケシを栽培している農村に住み着き、種まき、草刈り、採集をともに行います。それどころか最終的には自らがアヘン中毒者となって、ケシ栽培をしている村人たちから「アヘンの使い過ぎはよくない」と注意・心配をされる始末。高野氏は自分は俯瞰や構造の解明を目指す「ジャーナリスト」ではないと述べていますが、本書はそうしたスタンスに立つことの魅力が横溢しています。自らアヘンを使った際の効果の説明、中毒になっていく様。実際に中毒になった著者曰く、アヘンの心地よさとは、「欲望の器」が小さくなることにあるそうです。また、村人たちの協働、喧嘩、飲み会、精霊信仰の様子。また、著者が「準原始共産制」と呼ぶところの農村に、アヘン、市場、「国家」の論理が入り混じっている様も面白い。近代国家がその理屈の外にあった人々に自らの論理を無理矢理押し付けていくという話はもはや常識に属することと思いますが、村に学校が開かれ、文字を知らず、「標準語」なるものをそもそも認識していなかった子どもたちに「標準語」が押し付けられる姿は印象的です。また、採集を手伝った著者に気前よく分け前を与え、さらにはアヘンを吸わせてくれていた村人が、別の局面では村を去ろうとする著者にほかの人間にではなく自分にアヘンを売るよう交渉をする姿など。やはり「枝から果実がちぎれ落ちる瞬間」をとらえた記述には素晴らしい価値があります。

なお、もとは『ビルマ・アヘン王国潜入記』として出版されたのに「ビルマ」を外した理由についても文庫版あとがきで書かれています。つまり、自分が潜入したワ州のその村は、地図の上ではビルマであっても、その実態はまったくビルマではなかったのだ、ということです。

反政府勢力との交渉、言葉の通じない少数民族の村への潜入・生活、ケシの栽培、アヘンの採集・使用。「誰もいかないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」を見事に実践した本ですが、アヘン云々を抜きにしても読み物として面白い。高野秀行ブーム到来。極力図書館か古本で本を読むようにはしているのですが、出たばかりの『語学の天才まで一億光年』は買っちゃおうかな。

 

高野秀行『ワセダ三畳青春記』2003年

早稲田大学探検部に所属していた高野秀行が、早稲田近くの3畳一間のアパート『野々村荘』に住んでいた時の人々とのかかわりを描いたもの。部屋を借りてから出ることを決断するに至る11年間の(ちょっと遅めの)青春記。「辺境作家」と名乗ることもある著者ですが、この人の文章は別に「辺境」にいかなくても面白い。「誰もいかないところ」ではないし、「誰もやらないこと」かどうかはわかりませんが、そんなことは関係なく。

 

高野秀行『異国トーキョー漂流記』2005年

名作。なんなら最初に他の人に薦めるならこの本かもしれない。東京で出会った様々な国から来た人々との交流記。ペルーからきた”日系ペルー人”との交流と別れを描いた「101人のウエキ系ペルー人」、野球ファンである盲目のスーダン人と東京ドームに野球観戦にいく「トーキョー・ドームの熱い夜」など、内容も素晴らしいが章のタイトルも秀逸。どれも笑えて、そして考えさせられる。出版されたのが2005年。今著者が同じようなテーマで日本のことを書いたらどうなるか。とても興味があります。

 

すこし落ち着いてきたので、もうちょっと本を読む量を増やして、ちまちまブログに書いていけたらなと思います。最近は人に会うたびに面白い本を紹介しろと要求する癖がつきつつあります。