ネオたぬ記

読んだ本の感想。見聞きしたこと。

移民の宴と原敬

最近おんぼろスマホを買い替えたおかげで、写真はきれいに撮れるし容量でかくなってアプリは自由に入れられるようになったしで大変ありがたいです。

そんなわけでついにインスタをダウンロードしてみましたが、他のSNSとは入ってくる情報が結構違って面白い。もっぱら食べ物と本の情報収集に使えないかと企んでいるのですが、今のところ無関係なスポーツ動画や動物動画もたくさんとびこんできます。それはそれで好きなんだけども。

ただ、特定のジャンルに偏らずいろんな本を探してみたいとき、インスタは結構便利かもしれません。分野が定まった本であればそれなりに探し方はわかるのですが、インスタだと読書好きや、さらには小さな書店の店主、店員らしき人たちがやたら本の紹介をしてくれているので、うまいこと使えたらいままで全然目に入ってなかったジャンルの本が飛び込んできそうだなと。twitterとかfacebookとはずいぶん違っててSNSごとの使い分けとか棲み分けとかあるんだなぁとあらためて思いました。すこし、うまいこと使えないかと試しみるつもりです。

この数日でまた本を少し読めました。

 

高野秀行『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』2012年

高野秀行氏が、日本に移り住んだ移民の食生活をインタビュー対象の物語とその人の属するコミュニティ(エスニックコミュニティ、地域社会等)と絡めて描いています。多くの場合、様々な移民たちが料理を作る様を見学(または一緒に調理)し、そして著者も加わっての「宴」が開かれます。これは「ふつう」の移民の食事を知りたいという目的のもと著者がとった方法が、できるだけ「個人」ではなく集団・場に入っていくというやり方だったからです。そして著者が宴が好きだからです。たぶん。

 

とりあげられている人々は実に様々。成田のタイ寺院、被災直後の南三陸町に住むフィリピン人の女性たち、神楽坂のフランス料理店の人々、中華学校群馬県館林市のモスク、横浜鶴見の日系ブラジル人、整体師をする中国からきた朝鮮族ロシア革命で敗戦したのち日本に流れ着いた父を持つロシア人等等。勉強不足な自分は、おお、こんなところにこんなエスニックコミュニティが!と驚かされ、くいしんぼうな自分は、おお、こんなうまそうな食べ物が!と食欲を掻き立てられます。

 

本書で印象的なのは、それぞれの移民の来歴を反映した文化の複雑さ、混在状況です。たとえば神楽坂で出会った「フランス人」は、正確には18歳のときにアルジェリアからフランスへと移民し、今後日本で寿命を迎えるつもりでいます。著者が世話になっていた整体師は中国吉林省の朝鮮自治区出身の朝鮮族。彼は同じ民族としての韓国人についてきかれると、「付き合いないですね。あの人たちは『上から目線』なんですよ」と答えます。中国の朝鮮族の独特の立ち位置が垣間見え、そうした中で生きてきた彼にとって日本は、好き嫌い以前に「気楽」であると。これはいうまでもなく、日本が誰から見ても「気楽」ないい空間だというわけではありません。金城一紀『GO』で、在日朝鮮人が南米を目指す話をあわせて思い出しました。

また、著者が鶴見で出会った日系ブラジル人たちは「沖縄系ブラジル人」で、彼らは今の沖縄でもそれほど食べられていない伝統的な沖縄料理を現在も食べていました。さらに鶴見には沖縄⇒ペルー⇒鶴見の経路をたどった「沖縄系ペルー人」も。

「じゃ、行きつけのペルー・レストランがあるからそこで話しましょう」

「え、ペルー料理?ブラジルじゃなくて……_」私は思わず声をあげた。なぜ日系ブラジル人の取材で、肝心の締めがペルー料理なのだ?

しかしミチエさんは動じない。

「でも、その店、お客の60パーセントはブラジル人だよ。ブラジル人はペルー料理が大好きなの。それに両方とも沖縄人だし」

「え……?」

 

この本の見どころの一つは、移民たちの常識に著者がついていけずに狼狽するところだと思います。

朝鮮族の整体師による、来日時の日本食についての感想。

「生魚、生卵、山芋……ああいう生のものを薄味で出すというのが中国ではありえない。素材の味がそのまま出ちゃうじゃないですか」とまじめな顔で先生は言う。

多くの日本人がきいたらぎょっとする言い回しです。

 

本書では多くの「宴」の様子が描かれています。その中にはモスクでの宴や同じくムスリムであるスーダン人たちとの焼肉パーティなど、お酒を飲めない宴も登場するわけですが、それらが実に楽しそうです。

酒を一滴も飲んでいないのに、まるで酔っ払ったようなのだ。火災の焼肉パーティと同じだ。ムスリムでなくても、仲間うちでの会食は人を酔わせる。それこそが移民の宴の醍醐味なのである。

然り。酒がなくとも親しい人間との美味しい食事は心身を緩ませる。我が家の家訓のうちのもっとも重要なもののひとつであります。

高野秀行の著作の中では、探検・潜入・実践よりも「取材」という面が非常に色濃い作品でした。それゆえに観察や体験以上に、インタビュー対象の言葉の多さが印象的な作品でもあったと思います。

 

・清水唯一朗『原敬 「平民宰相」の虚像と実像』2021年

日本初の「本格的政党内閣」の総理大臣となった原敬の伝記。自分としては、明治維新における賊軍の地(現在の岩手県盛岡市)に生まれ育った原が、日本の近代国家化が進む激動の時期に紆余曲折を経ながら成りあがっていく様が面白かったです。あらためて新書という形で読むと、漫画か?という感じ。 

他方、原政友会が本格的政党内閣をつくるにいたる政治的対抗についてはあまり楽しめず。これは、自分のそっち方面への関心の弱さに多分理由があるんでしょう。本書では原が対抗勢力といかにたたかったか、また党内をまとめ上げ、責任政党に成長させるためにどのような工夫を凝らしたかが丁寧に描かれています。

著者はあとがきで以下のように述べています。

日本に政党政治をもたらした原の功績は大きく、研究者の評価は高い。しかし、一般の評価も、認知度も低い。そこに「政治を嫌う」日本人の国民性が表れているのではないか。「決めること」を避け、「きれいごと」を好んできた私たちの積み重ねが見えるように感じられた。

こうした関心から著者は、原政友会が近代政党とまとまり、政策立案能力を高めていく様を高く評価します。逆に、ポピュリズム的な政治姿勢や、政治への責任を伴わない無責任な論評・意見に対してはなかなか厳しい。

政党に何を求めるか。とりわけ野党に何を求めるか、という問題は現在進行形で最重要なテーマです。少し前に「平成デモクラシーのおわりのあとに」と題された面白い動画がYouTubeにあがっていました。

平成デモクラシーのおわりのあとに 河野有理×山口二郎【2022 春の立憲デモクラシー講座】220722 - YouTube

政治学者であり2010年代の野党側の政治運動のリーダー格の一人であった山口二郎氏と、政治思想史家の河野有理氏の対談です。この中で河野さんは、山口さんたちが強く拒絶する安倍内閣の政治について、それはむしろ90年代以来山口氏も含めた政治学者たちが積極的に求めた実行力のある政治、二大政党制というもののあり方に属するのではないか、と指摘しています。権力への抵抗より、権力をつくる責任を負うこと、その重要性に目を向けるわけです。積極的な展望が語られるわけではありませんが、「平成デモクラシー」についてや、安倍政権評価などの議論もされていて面白いです。ちなみに清水唯一朗氏は1974年生まれ、河野氏は1979年生まれ。

 

原敬』に戻ると、大戦間期を考えるときに原敬的なもので問題は解決したのだろうかという思いが強いです。党内の統合、民主化、政策立案能力。すべてその通りと思いつつ、その外側に広がっている世界、大衆の置いてきぼり感にどうしても目がいってしまう。著者に言わせれば「日本人のそういうところだぞ」という感じかもしれません。

 

「平成デモクラシーのおわりのあと」にどうやって政治に関心を持てるのか。なかなか難しい。