ネオたぬ記

読んだ本の感想。見聞きしたこと。

ちびちゃんの成長 それにまつわる諸々

順調に育ちゆくおちびちゃん。少し前まで仰向けで転がってることしかできなかったのに、あっというまに寝返りを覚え、ハイハイして近づいてくるようになり、最近はよじよじと自分の膝にのぼってつかまり立ちしてにこっと微笑むようになりました。日々可愛さが増していくのですがどうしましょう。そのうち喋るらしいじゃないですかこの生き物。ちょっと前まであーとかうーだったのに、最近はまうー、んまーみたいな発音をするようになり、これはもう、目標としていた「とうちゃん」「かあちゃん」呼びを諦めてパパママ呼びで妥協すべきか、、とか実にどうでもいいことを夫婦で話しております。だって早く呼んでほしいじゃないか。

 年末くらいまでわりとあわただしく過ごしていたのですが、今は諸々区切りをつけることができ、一休み。というかヤマ場を越えたら一気に疲れが出てきて、ひと月ほど体調不良が続きました(続いています)。忙しかったり体調悪かったりで、適当なことをつづろうとおもっていたこのブログはまたも休眠状態になっていました。

 

 最新の嬉しいニュースは新年度からの保育園の決定。いやーよかった。持病で自分がどの程度育児をできるかが不明瞭だったりするなかで、自分の体調や会社員ではない妻の仕事の忙しさをどうやって自治体に伝えるかでいろいろ苦労しました。結局、正面から挑んでも役所の人がまともにとりあってくれず全然展望が見えなかったのに、総合窓口、福祉系のルートを使って相談をしたらこちらの事情をよく理解してくれて、話が一気に進みました。結果、無事新年度の認可保育園決定。こちら側のリサーチ力や交渉力で問題が解決した面があるので、自分たちに関してはよかったと思う反面、これだけこちら側から動かなければならないのなら制度から零れ落ちる人々、家族が随分といるだろうなぁと痛感しました。

 ここまで近所の一時保育を利用したり職場の保育室を利用したり、どちらも交渉のすえ本来のルールとは違うイレギュラーな形で子どもを預かってくれることになりなんとかしてきたのですが、これも本当に綱渡りだったなぁと思います。総じていうと、十分に賃金や企業福利にも守られず、他方で貧弱な日本の生活保護受給ラインで生きているわけでもない層の寄る辺のなさのようなものを感じています。前に近所の複合施設のことをブログで書いたことがあります。夫婦でがっつり働けていて、こどもを3人くらい育てるのに必要なお金は一応ございます、みたいな層が(どれくらいの規模かはしりませんが)存在すること、そのきれいな複合施設がどうやらそういった人たちを対象にしているらしいこと、意味不明に見える政策もどうやら似たようなことを考えているように思えることなど。保育園の件でも同様のことを思いました。詳細は書けませんが、いろいろと模索する中で、夫がそもそもがっつり働いていて妻は専業主婦で問題無しという企業社会的コア層に続いて、産休育休をしっかりとれてその後は認可保育園に子どもを入れて夫婦でばっちり稼げる人々までが政策の主たる対象となっており、その下の層の子育ては充分には保障されていないのだなぁ、と。認可保育園にさくっと入れるほど設定されているポイントは稼げず、他方で家で子育てだけに専念する生活をしているわけでもない。そんな人たちが結構いることに、も少し目を向けてほしい。

 ついでにもう一つ。天気のいい日や自分の体調のいい日、坊を連れてベビーカーで公園によく出かけます(が、このひと月、寒いわ体調は悪いわでほぼいけてない)。行くのは家から歩いて5分ちょっとの団地の真ん中にある公園です。広々していてそれなりに整備されているのがよいです。蚊がいるシーズンはちょっと困りますが。日中公園にいくと、おばあちゃんたちがよく日向ぼっこをしています。こちらがへらへらしながら歩いているのもあってか、赤ん坊連れとみると皆さん無警戒にどんどん話しかけてくる。中国残留孤児で日本語がほぼ喋れないおじいちゃんもいたり、顔見知りがどんどん増えてきました(中国語しか喋れないおじいちゃんと中身のあるおしゃべりができないかどうかは作戦を検討中)。おばあちゃんたちは、最近は団地に子どもがいなくなってしまった、とみな口にします。その分赤ん坊と接する機会が減って、赤ん坊が可愛いのでしょう。「すこしかしてくれないかしら。おっぱいでないけど」が定番のばーばジョークです。しかし、その公園に子どもが全然いないかというとそんなこともないのです。土日なんかは夫婦&子ども、または父親と子どもという組み合わせはかなり見ますし、平日の日中でもお母さんと子ども、また小学生くらいの子供たちが元気に缶蹴りをしていたりしています(缶蹴り中に隠れている子たちがスマホで連携を取り合っていて時代の波を感じました)。おばあちゃんたちに「でも、公園で遊んでる子どもたちそれなりにいませんか?」ときいたところ、どうやらその子どもたちや家族連れは、ほとんどが団地の住人ではないとのこと。団地そのものは高齢化がひたすらに進み、若い世代、なかでも子育て中の若い世代は非常に少ない、子どもたちや家族連れは、団地の外から遊びに来ているらしいのです。たしかにその言葉を踏まえて自分たちの街をみると、子どものいる夫婦は団地の少し外に一軒家をもつか、団地よりもリッチなマンションに住んでいるようです(公園で赤ん坊と遊んでたら警戒心のない小学生男子がなついてきて、なぜか初対面の僕を自分の家の前まで案内してくれました。でっかい車のあるいい一軒家でした。次あったら人を疑うことを説くべきだろうか)。自分たちは縁あって異常な安さで借家をかりて住んでいますが、その向かいには数年前に建てられた一軒家が4軒ほど並び、どの家も30~40代前後の夫婦と複数の子どもの家族です。団地の公園は、団地に住む子供たちの遊び場ではなく、そういう家の子たちの遊び場になっていたわけですね。

幼い日に団地で育って友達と団地の公園で遊びまくってた自分としては、少子高齢化と育児の贅沢品化とでもいいたくなる時代状況がこの数十年のうちに団地なるものの姿を大きく変化させたことを目の当たりにして、すこし衝撃を受けたのでした。

 

うだうだメモ

もう10年ほど前か。フェミニストを称する女性の後輩に「男女差別に反対していて、フェアなのが大事とおもってるならフェミニストっすよ」みたいなことを言われ、「ほほぉ。なら自分も一応フェミニスト?」みたいなことを考えていたことがあります。

今では、残念ながら自分はフェミニストではないのだろうなと考えるに至っています。男女差別はよくない、フェアなのが大事、というのは今でも全く正しいと思うのですが、なにしろフェミニストを自称する人々と定期的に意見が衝突する。もしそこでほかの人が、「いや、フェミニズム的見解であれば~~と考えるべきだ」と発言するのであれば、「なるほど、自分は××は受け入れられないが〇〇なタイプのフェミニズムになら得心する、近づけるのかもしれない」と考えるところなのでしょうが、しかしながら自分が身近に経験した対立・混乱でそのようなパターンにほとんど遭遇したことがない。多くの場合はフェミニズムを掲げる人が相手(男性)に男性中心主義、男女差別であると非難を向けるか、また別の人はその人と距離をすこしとって沈黙をし、非難された男性はその言葉が身体に突き刺さったまましかし無言で自分たちなりに考えた解決策を遂行する。経験したケースでは男性を批難する論理は自分にとってなかなか賛同しきれるものではなく、男性(たち)はそうするしかなかったのではないか、と思える。フェミニズムにのっとって「このように考えるべきである」とする説得力のある代案もどこからも聞こえてこない。問題の決着は双方傷だらけでなんとも後味が悪い。そこにあるのは大枠では加害と被害の関係であるにもかかわらず、自分はどうにも被害の側に立ちきれない。被害の側の声を全面的に尊重することがもしもフェミニズムであるならば、自分は残念ながらいまフェミニストと名乗ってはいかんのでしょう。被害者の声や要望に寄り添えばいいってもんじゃないだろう、というのが諸々の事案をみていての正直な感想なのです。基本的には、「そこに問題があるかどうか」よりも「ではどう解決していくか」、「さしあたりの着地点はなにか」で大きく対立する。直ちに全面的に問題を克服しようとしていないのであり、それは妥協ではないかと問われるなら、まぁその通りかな?という気持ちもあるので反論はできない。大事だとおもうたくさんのものの一つをそれだけとりあげて自らのイムズであるとはたしかに呼ぶべきではない気もする。

 

とかいいながらどうにか自分の納得できる考え方はないものかと、あまりない時間と体力の中でも勉強をできないかと思っているのですが。修復的司法への自分なりの関心もこれとかかわっているような気がします。女性への被害・抑圧の深刻さの学びは、正直なところ、懸命に勉強したところで現実に今起きている衝突の解決や自分のもつ違和感の解決につながるとは思えません。さて、どんな勉強をすればよいのか。納得できる考え方がみつかるのか、または自分の考えを変えることができるのか。

自分は、基本的にはフェミニズムは(長く険しい道とはいえ)不可逆のいきおいのもとに大きく力を強め歩みを進めている真っ最中であり、実際には大きな影響力を既に有していると思っているのですが、当人たちがあまりそうは考えていないということにすれ違いの源の一つはありそうな気がしています。農民運動然り労働運動然り、もちろん市民運動も、時代の中で急成長をした人々はどこかで集団を作り、自分たちを群として洗練させていきます。バリエーションは様々ですが、自治・規律の機能を備え、他者とのかかわりあい方をみにつけていきます。我が学部時代の師匠がこだわったと思われるテーマ。集団・自治の意義。

では、はたして。

 

遺品整理

10年以上前に亡くなった恩師の家の片づけに行ってきました。

 

奥様が亡くなり、これが最後の機会ということで少し形見分けに参加したのですが、久しぶりに先生のことを想い出しました。高校生時代からの学生運動家だったのですが、亡くなる際には大学行政の要職についていました。政治的・学問的スタンスは一貫していたはずですが、死後につくった追悼文集をぱらぱらとみていると、同僚の左派の先生方からは諸手を挙げて評価する、とまでは言い切れない追悼文がちょこっと混ざっています。潔癖で、基本的には好かれ、尊敬されていた先生でしたが、同僚とは大学のあり方をめぐって意見がぶつかることもあったようです。特に意見が割れたのが、教員評価制度をめぐってだった様子。教員評価制度が大学自治の破壊なのか、大学のために必要なものなのか。先生自身は、大学自治のためには一定必要な制度であると考えていたようです。

本人から話を聞く機会を持てないまま亡くなってしまったのは残念なことですが、先生の初期の研究には、大学行政でそのような立場をとったことと関連するようにみえる、独特の「自治」へのこだわりがあったように思います。自律や自浄作用の評価、またはアナーキーな秩序観とはだいぶ違う、権力の集中への関心など。もしかすると、先生の教育大時代の学生運動の経験が影響しているのだろうか、などとおもったり。僕の一番最初の研究を妙に気に入ってくれていたのも、そうしたところが関係していたようにも思います。

大きな対立構図、大きな権力との関係では「自由」、「解放」といった言葉が意義を持ちますが、先生は政治的にはそのような立場にいつつ、それだけではありませんでした。なんとも窮屈な、リラックスのできない「自治」や規律を重視していたように思います。先生の古い友人から昔話をきいていると、学生運動の経験というだけでなくもとからの「気質」がそうさせたのかもしれませんが。師匠筋の人々は、よりはっきり国家や政治に関心をもつ人から、代々続くアナーキストみたいな人まで色々なタイプの先生がいるのですが、亡くなった先生にももう少し話を聞いてみたかった。あまり現代の話を喜んでするタイプの人ではありませんでしたが。

生きている間にもっと突っ込んで話ができたらと考えることはありますが、学部生に毛が生えたくらいの自分には無理だよなぁ、とも。死人に口なし。しかし、読み返せる本は遺してくれた。せめて、たまに思い返して思考の糧にさせてもらおうと思います。

 

北海道を味わう

持病の治療のために本来なら今頃入院している予定だったのですが、使う薬に不具合があったというよくわからない理由で入院前日の夜遅くに急遽入院が中止に。入院期間の一時保育先やら、ベビーシッター雇うかどうかやらてんやわんやで準備を進めていたのに。治療、早めにやれるといいんですが、まぁこれはもうなるようになるしかない。育児については近くで1時間でも子ども預かってくれる友達とか住んでたら便利なんだけどなぁとか思いますが、大体古い付き合いの頼れそうなやつは遠くに住んでいたりするのです。

 

で、入院するはずだった日、一時保育の予約を既にしていたので朝子どもを預け、その後一人で近くのお店に。いやぁ、読書がはかどった。久しぶりの一人時間。

妻とこんなLINEをしました。

自「○ちゃん(子ども)いないと寂しいけど、でも一人だと作業がはかどるねぇ!」

妻「そうだね。寂しいね」

うむ、かみ合ってるようでかみ合ってない。まぁ妻の気持ちもわかる。アンビバレントです。

 

ともあれそんな感じで、想定外に最近のなかでは比較的本を読めました。お世話になってる先輩から絵本やら小説やらいろいろ送ってもらったのですが、そのうちの一冊、小泉武夫『北海道を味わう 四季折々の「食の王国」』がなかなかよかったです。北海道は縁のある土地。妻のルーツの土地であり、義父、つまり妻の父は北海道のお寺で住職をしています。スーパーおじいちゃんっこ・おばあちゃんっこであった妻は幼稚園児のころから長期の休みになると一人で北海道の祖父母の家に行き、休みを過ごしていたといいます。

本書では著者が情熱的な表現と独特の擬音を駆使しながら、数十年かけて食べ歩いた北海道の食べ物を熱く語ります。一番最初のニシンの話からがっつり心つかまれた。僕別にニシン好きでも嫌いでもないんですが、なんか読んでるとめちゃくちゃ美味しい魚な気がしてきます。その他、ホッキガイ、トキシラズ、行者ニンニク、北海シマエビ、ウニ、カニ、キンキ、シカ、ジャガイモ、トウモロコシ、さらにはジンギスカンやラーメンなどなどなど。とにかく紹介される食べ物がすべて美味しそう。例えばニシンの刺身一つ食って以下のような感じです。「口に入れた瞬時、ヤマワサビの快香が鼻から抜けてきて、口の中ではニシンの刺身のポッテリとしたやさしく柔らかい身が歯に応えてホクリ、トロリとし、そこからまろやかなうま味と耽美な甘み、そして脂肪からのペナペナとしたコクなどがジュルジュルと湧き出してくる。それをヤマワサビのツンツンと醤油のうまじょっぱみが囃し立てるものだから、たちまちにして私の大脳皮質の味覚受容器は充満するのであった」。世の中には自分など足元にもおよばぬ食いしん坊たちがいるものだなぁ。

しかし、この著者の魅力的な語りにすべて乗っかるわけにはいかぬ。例えばニシンの糠漬けを焼いたもの。著者曰く、「実にうま味と酸味が濃く、塩も角が取れておだやかになっていた。……また、発酵によって生じたさまざまな微量成分が、焼くことによって成分変化を起こし、食欲をそそる香ばしいにおいを発生させるので、私はその匂いだけをおかずにして飯が食えるのではないかと思ったほどであった」。でも実はこの食い物、妻の祖母が送ってくれたものを食べたことがあって、自分にはさっぱり口に合わなかったのです。一口食べてパス。よく考えたら僕、キュウリの糠漬けですら古漬けは苦手なんだった。うまみが強かろうがまろやかだろうが、においが強かったり酸味がきつかったりするとあんまり食えないんですよねぇ。発酵学者である著者に聞かれたら憐れまれそうな味覚をしております。納豆とチーズはきつくないやつなら好きです。味噌はなんなら自分で作ろうと思っている。

 

ちなみに縁がどうのといっておきながら、自分は義父、つまり妻の父とは会ったことがありません。別に関係は険悪ではないのですが(というか会ってないので連絡先もきいてないし喧嘩もできない)、結婚式とかもしてないので単純に会うタイミングがないまま今に至っています。僕も気にしていませんが、妻曰く義父も特に気にしていないとか。「○○(妻)ちゃんがいいならなんでもいいよ~」みたいな感じらしいです。地方名望家(お坊さん)なのに。多様な家族の形態が実践できていて大変良いことですね?

でもそのうち(北海道を味わいに行くついでに)会ってきたいとは思っています。

あと、どうでもいいですけど北海道から東京に出てきた知人がそれなりにいるのですが、変な人率がとても高いです(褒めてます)。なぜだろう。

誰が、どこで子育てをしているか

2週間の妻の仕事ラッシュ最終日、夕方の陽が落ちる前から駅近くで合流し、ハンバーガーを食べにいきました。僕の胸元には、だっこ紐のなかですやすや眠る坊。場所は駅から歩いて5分強の、数年前に作られた複合施設。チェーン店ではないし、広い意味でのグルメバーガーの一種なのでしょうが、値段はそう高くない。自分たちがこの店を気に入ってるのは、美味しさ以外に、天井が高くスペースが広いこと、音響がよく音楽がきもちいいこと、そこまで混みまくってはいないことなど。むしろ味はその日によって肉の質が良かったり悪かったりと、単純に味だけ見るならほかにもよい店はあるのです。プラスアルファが魅力的。いい音響でR&Bを中心とした洋楽が流れています。

子どもが生まれてからはテイクアウトで食べていたのですが、この日初めて店内にチャレンジ。赤ちゃん連れでも平気ですか?と尋ねると、問題無しと笑顔の店員さん。ソファの席に通してくれました。

我々が席につくと、そのすぐあとに横に家族が座りました。カジュアルな格好をし、キャップを被ったお父さんと黒を基調とした服にびしっと化粧をしたお母さん、そして子どもは3人。幼稚園児か小学校入りたてかな?という子が2人に、一番小さい子は1歳過ぎ。後で話してみたら、1歳4か月とのことでした。親は40代過ぎか半ばくらいでしょうか。赤ちゃん用の椅子&机をお店から出してもらい、時々いや~~などと親に抵抗しながらなにやら食べています。お父さんお母さんはクラフトビールらしきものをジョッキでごくり。すると今度は我々の後ろにも家族連れ。20代後半か30前後に見えるシュッとしたご夫婦と、なんかきれいなベビーカーの中に寝転んでいる赤ちゃん。顔は見えませんでしたが、たぶん0歳児でしょう。こちらも楽しそうにお食事。少し早めの時間であったということもあるのでしょうが、なんとハンバーガー屋を赤ちゃん連れの家族が占拠しました。「ちっちゃいですねぇ。まだ動けないそれくらいが最高に可愛いですよ」などと声をかけられ、こちらも「いやぁ、子どもが何人もいるのも素敵ですねぇ」、「がんばって!」などと隣の家族と軽くおしゃべり。

食事を終え店を出てから、今日は仕事ひと段落の打ち上げだと同じ複合施設のカフェのようなレストランへ。ここは乳幼児歓迎を打ち出していて、必要であれば離乳食も出してくれます。我々のような乳児連れの家族には座敷を案内してくれたりと、とっても子育て家族フレンドリー。なおかつ甘味が美味しいので、カフェ代わりにたまーに使うのです。安いわけではないけれど、長居もできるし、我々が大好きな広々空間だし、何より乳児連れ歓迎なのがありがたい。パフェたべちゃったぜ。二人で一個で大満足(坊は授乳ケープのなかでおっぱいを与えられていました)。

 

 

しかし、楽しい時間を過ごしましたという話だけしたいわけではないのです(楽しかったけど)。この緑豊かな複合施設を歩いていると、本当に子連れが多い。大体みんなきれいな格好をしていて、ブランドの整ったベビールームではお父さんがおむつ替えをしていたり男性が2~3人の子どもを連れていたりと、父親の育児参加もごく普通。ああ、これがこの施設や、場合によっては自治体がターゲットにしている家族像なのだな、と思いました。よくみるカジュアルな格好のお父さんとビシッとしたお母さん。おそらくそれなりに仕事に自由がきく男性と、それなりに収入を得ている仕事のある女性でしょう。政府の施策で、「第3子以降は〇〇!」という打ち出しを見ていてなんじゃこりゃ?と思っていたのです。いや、一人目持つのが大変なんですが、とこちらからすると思っていたので。周りをみていても、そもそも子どもを一人育てるかどうかが身近なカップルの大きな悩み事だったりしています。要するに、我々のようなふらふらとした人間たちではなく、上述の複合施設にくる人たちを支援してどうにかしようとしているのかも、と考えました。都市中間層(の上層)の子育て世帯という群があり、なおかつそれをターゲットにした施設・場があるという、今まであんまり自分が理解していなかった事実を体感したのです。今まで読書スペースとしてしか認識していなかったこの施設、そういう施設だったのか、と。たしかに数は少ないですが、「できれば子どもは3人でも4人でも持ちたい」というような友人も少数はいるんですよね。大体経済的なゆとりがあるか、展望がある人たちですが。

 豊かな緑、きれいな授乳スペース、乳児ウェルカムなお店。とってもありがたい。しかし、ここにはおそらく寄ってこれない人たちがいる気もします。文化的・経済的な壁とでもいうか、こういう場所を居心地がよいと感じる人と、どうにも近づきにくい、自分の居場所でないと感じるであろう人と。いるのは身なりのきれいな家族連れ、カップル、フリースペースやカフェで勉強している大学生が中心です。実際、こういう人たちを対象に施設が作られたのでしょう。駅から歩いて数分の一等地。他方、すぐ近くにある職場の同僚たちは、ほとんどがその施設に足を踏み入れたことすらありませんでした。自分自身は子連れか否か関係なく、緑の多い空間や広々としたスペース、静かな場所が好きですからこういう施設はとてもありがたいのですが、はたしてこの施設と相思相愛な人々・家族というのが日本社会にどの程度の数いるのか。また子育てしていても、「ここは別に居心地がよくない」と思う人たちもいるでしょう。そもそもお金の面でも、ハンバーガー屋やカフェも「最安値」ではない。そういう人たちの存在はこの複合施設にいても当然ながら見えませんが。

自身の状況がかわって、見えてなかったものが見えてきたり。逆に見えてくると、今まで見ていたはずのものの解像度が下がっていく感じがしたり。こういう施設があるのはよいとして、自分たちとしては子どもを3人や4人もつか以前に、1人目を安定して育てられる施策の不足を感じる日々です。育てられる自信がない、子どもを持ったらほかの大事なものを諦めることになってしまう、と子どもを持つことを断念している友人たちもいます。結婚することにした際、何か自治体で援助とかないかなぁと調べてみたら、「記念写真撮れます」みたいなのがホームページにでてきたイラッとしたのを覚えています。結婚すること、一人目を持つことから、まずはきっちり支援していただきたいのですが。

子どもを持つ人と持たない人、子連れでこのような複合施設にくる家族とこない家族と。一つの街にもいろんな人たちがいます。どこかに立つと、またはどれかをターゲットにすると、別の人たちが見えにくくなるものなのかもしれないと思ったのでした。

 

満身創痍

両親に坊を預けた翌日、一応熱は下がったので育児復帰。とはいえ体はまだバリバリに痛いし完全ワンオペは嫌なので、徒歩でいける実家に移動して日中を過ごしました。

しかし。

昨日丸一日、坊を実家に預けていたところ、母は腕が痛くなり、父は腰が痛くなり。みんなあっというまに満身創痍ではないか。いろいろ改善策を講じ奏効してはいるものの、本質的な哺乳瓶嫌いは完全には解消されず。寝かしつけても哺乳瓶を与えようとしても「ちがうんじゃー」という感じで抵抗することもあります。夕方、しょうがないからわれら夫婦の秘密兵器ボバラップ(だっこ紐)に坊を押し込んで、弱った体をおしてお散歩へ。そしたら5分くらいであっさり寝やがりました。寝顔超可愛い。

どうせ家に帰って布団においても起きるなと思い、そのまま公園へ行ってきたのですが、赤ん坊と二人で街にいると、ほんとによく人に声をかけられます。特に見知らぬじーじ、ばーば。しっかり外に出てる日は、一日で複数人に声をかけれるのが普通なくらいです。今日は1時間弱の散歩&公園の間に3人に声かけられました。世の人々、赤ん坊好きすぎないか。

「これからも可愛いのがずーっと続くわよー。私の子供なんてもう40代だけど、まだ可愛いって思ってるもの!」と街のばーば。

「近くに住んでるの?またこの公園来なさいよ!」と別のばーば。

 

今まで長く住んでてほぼ交流がなかったのに、子どもが生まれてから毎回挨拶するようになったおっちゃんもいます。家の前通ると庭仕事とかやめて出てきます。ご近所の同世代の子育て世帯の人たちとも挨拶をちゃんとするようになったり。いずれも育児の負担軽減になったりしているわけではないですけど、いいものですね。みんな忙しそうだけど、優しい。

当たり前ですが、自分のおかれた環境が変わると見えるものも変わります。逆に人によっては見えにくくなるものもあるなとも思ってるんですが、それはまた考えていきたいところ。子育てをしている人たちの局在と分断とでもいいましょうか。

 

あと、ちびっこを抱っこして移動している人々をみると「腰、痛いよね!」と勝手に共感するようになりました。みんながんばってるよ!

 

 

 

 

育児の日々

なかなか本をしっかり読めない。

 

持病の治療とその疲れやらもあるのだけど、なにしろ人生初体験中の育児である。なんなら一番まとまって本を読めたのは治療のための入院中。ちょっとした時間で読むことはあるけれども、読めてもメモはとれないし、ハズレの本も多いしでなかなか読書ノートにはならなかったります。

とはいえぼーっと過ごしているだけかと言えば、むしろいま子育てをするという幸運に恵まれ、目の前のぷにぷにした生き物とともにいろいろと学んだり、考えてみたり。忙しいけれども刺激的で楽しい日々です。そしてとにかくわが子が可愛い!

 

会う人会う人に親バカ満喫中と言われ、またそれを自認してもいる私です。子どもが生まれてくる前は育児のきつさを強調する文章も結構読み、すこしビビってはいたのですが、生まれてきて数か月、今のところはとにかくかわいく、幸せな感じです。生後数か月の子育てについては、ものすごい子ども好きな姉ですらつらくて涙が出たといっていました。またこの前遊びにきてくれた頑強な心身を備えた温厚な先輩も「仕事の方がずっと楽」と。

仕事と育児のどちらが楽かというのも人によって違いそうですが、姉が自分より軟弱であるとか子育てが苦手であるいうことは到底考えられないので、やはり状況の違いが大きいのでしょう。仕事ややりたいこととの兼ね合い、育児の位置づけ、子育てを開始した年齢などいろいろ関係しそうな論点はあると思いますが、とりあえずワンオペか否か、というのは物理的にも精神的にも大きな違いだな、と思います。幸か不幸か今までのところ我が家はほぼ完全な2オペ体制でやってこれました。2オペであっても読書を含めたほかのことがなかなか難しい生活なわけですが、それでもワンオペとは本当に違う。なぜそんなことを確信しているかというと、この一週間ほど妻の仕事ラッシュで自分がワンオペを経験したからですね。そしてこれがなかなか大変。全く目が離せないし、そもそも坊の視界から自分が消えると数十秒のうちに「どこにいったの?」と騒ぎ出す。くいしんぼうなくせに、これまで完全母乳でやってきたものだから、哺乳瓶を与えようとしても「これじゃない!」と嫌がったりする。そんな姿もかわいいんのだけど。とにかく完全にぼーっとする時間がありません。ピンポイントでベビーシッターを雇うべきかも考えたりはしますが、金もかかるし、それ以上に自分の性格的に知らん人が家にいるとそもそも休まらない。家族などよく知っている人間がみてくれているならいいのですが。

子どもがギャン泣きをしているとき、いろんな気持ちが同時に起こります。泣き顔もかわいいなぁ、何かが不快なんだろうな可哀そうに、どうしよう泣き止まない、大きな声が耳に響く、抱っこし続けで体が疲れた、などなど。基本的にはそれらの気持ちは「かわいい」のもとに統合されているのですが、ほかの気持ちも在ることは確か。ワンオペ時には、軸が他に、特にネガティブなものにズレやすくなります。人と一緒だとちょいちょい休める上に、その辺の気持ちのコントロールが楽なんですよね。家族と「泣き顔かわいいねぇ」とか「どうしたんだろうねぇ。たぶん眠いんだろうね」などと話していると気持ちも余裕。姉の場合は育児の際に夫がおもいっきり働いていたはずなので、完全ワンオペはつらかっただろうなと思います。「夫、早く帰ってきて~って毎日思ってたよ」とは姉の弁。

あとは、子育てに取り組むことが今の自分の生き方だ、と思えるか否かというのも育児を楽しめるかには決定的だと思います。もし20代で子育てをしていたら、自分はここまでエンジョイできていなかったでしょう。僕が本来やりたかったこととの関係で子どもを「足枷」ととらえていたかもしれません。子どもが欲しいと思い、子どもを育てたいと思うタイミングで子育てができていること、これは非常に幸運なことです。子育てということにどれだけの人生的価値があるか、社会的価値があるか。どちらにおいても非常に重要な価値がある、と確信したタイミングで子育てができているのは、子育てを楽しむという意味ではやはり幸運というほかないです。

 

とはいえ時間がないのをどうにかしたいも事実。本を読むタイミングも文章を書くタイミングもなかなかないのは、精神衛生上よろしくないのでちょっとずつ改善していきたい。師匠が言ってくれている研究会もやりたい。そもそもこんな雑文を今書けているのは、この間ハードに過ごした影響か昨夜から発熱⇒抗原検査で陰性ではあったが念のため一日子どもを自分の両親に預けた、という状況で幸か不幸か突然空き時間ができたからです。病弱な身ゆえ、空き時間がイコール生産的な時間になるわけでもありませんが、読むなり書くなり、ちょっとずつでも生活に組み込みなおしていけたらなと思います。