ネオたぬ記

読んだ本の感想。見聞きしたこと。

ちびちゃんの成長 それにまつわる諸々

順調に育ちゆくおちびちゃん。少し前まで仰向けで転がってることしかできなかったのに、あっというまに寝返りを覚え、ハイハイして近づいてくるようになり、最近はよじよじと自分の膝にのぼってつかまり立ちしてにこっと微笑むようになりました。日々可愛さが増していくのですがどうしましょう。そのうち喋るらしいじゃないですかこの生き物。ちょっと前まであーとかうーだったのに、最近はまうー、んまーみたいな発音をするようになり、これはもう、目標としていた「とうちゃん」「かあちゃん」呼びを諦めてパパママ呼びで妥協すべきか、、とか実にどうでもいいことを夫婦で話しております。だって早く呼んでほしいじゃないか。

 年末くらいまでわりとあわただしく過ごしていたのですが、今は諸々区切りをつけることができ、一休み。というかヤマ場を越えたら一気に疲れが出てきて、ひと月ほど体調不良が続きました(続いています)。忙しかったり体調悪かったりで、適当なことをつづろうとおもっていたこのブログはまたも休眠状態になっていました。

 

 最新の嬉しいニュースは新年度からの保育園の決定。いやーよかった。持病で自分がどの程度育児をできるかが不明瞭だったりするなかで、自分の体調や会社員ではない妻の仕事の忙しさをどうやって自治体に伝えるかでいろいろ苦労しました。結局、正面から挑んでも役所の人がまともにとりあってくれず全然展望が見えなかったのに、総合窓口、福祉系のルートを使って相談をしたらこちらの事情をよく理解してくれて、話が一気に進みました。結果、無事新年度の認可保育園決定。こちら側のリサーチ力や交渉力で問題が解決した面があるので、自分たちに関してはよかったと思う反面、これだけこちら側から動かなければならないのなら制度から零れ落ちる人々、家族が随分といるだろうなぁと痛感しました。

 ここまで近所の一時保育を利用したり職場の保育室を利用したり、どちらも交渉のすえ本来のルールとは違うイレギュラーな形で子どもを預かってくれることになりなんとかしてきたのですが、これも本当に綱渡りだったなぁと思います。総じていうと、十分に賃金や企業福利にも守られず、他方で貧弱な日本の生活保護受給ラインで生きているわけでもない層の寄る辺のなさのようなものを感じています。前に近所の複合施設のことをブログで書いたことがあります。夫婦でがっつり働けていて、こどもを3人くらい育てるのに必要なお金は一応ございます、みたいな層が(どれくらいの規模かはしりませんが)存在すること、そのきれいな複合施設がどうやらそういった人たちを対象にしているらしいこと、意味不明に見える政策もどうやら似たようなことを考えているように思えることなど。保育園の件でも同様のことを思いました。詳細は書けませんが、いろいろと模索する中で、夫がそもそもがっつり働いていて妻は専業主婦で問題無しという企業社会的コア層に続いて、産休育休をしっかりとれてその後は認可保育園に子どもを入れて夫婦でばっちり稼げる人々までが政策の主たる対象となっており、その下の層の子育ては充分には保障されていないのだなぁ、と。認可保育園にさくっと入れるほど設定されているポイントは稼げず、他方で家で子育てだけに専念する生活をしているわけでもない。そんな人たちが結構いることに、も少し目を向けてほしい。

 ついでにもう一つ。天気のいい日や自分の体調のいい日、坊を連れてベビーカーで公園によく出かけます(が、このひと月、寒いわ体調は悪いわでほぼいけてない)。行くのは家から歩いて5分ちょっとの団地の真ん中にある公園です。広々していてそれなりに整備されているのがよいです。蚊がいるシーズンはちょっと困りますが。日中公園にいくと、おばあちゃんたちがよく日向ぼっこをしています。こちらがへらへらしながら歩いているのもあってか、赤ん坊連れとみると皆さん無警戒にどんどん話しかけてくる。中国残留孤児で日本語がほぼ喋れないおじいちゃんもいたり、顔見知りがどんどん増えてきました(中国語しか喋れないおじいちゃんと中身のあるおしゃべりができないかどうかは作戦を検討中)。おばあちゃんたちは、最近は団地に子どもがいなくなってしまった、とみな口にします。その分赤ん坊と接する機会が減って、赤ん坊が可愛いのでしょう。「すこしかしてくれないかしら。おっぱいでないけど」が定番のばーばジョークです。しかし、その公園に子どもが全然いないかというとそんなこともないのです。土日なんかは夫婦&子ども、または父親と子どもという組み合わせはかなり見ますし、平日の日中でもお母さんと子ども、また小学生くらいの子供たちが元気に缶蹴りをしていたりしています(缶蹴り中に隠れている子たちがスマホで連携を取り合っていて時代の波を感じました)。おばあちゃんたちに「でも、公園で遊んでる子どもたちそれなりにいませんか?」ときいたところ、どうやらその子どもたちや家族連れは、ほとんどが団地の住人ではないとのこと。団地そのものは高齢化がひたすらに進み、若い世代、なかでも子育て中の若い世代は非常に少ない、子どもたちや家族連れは、団地の外から遊びに来ているらしいのです。たしかにその言葉を踏まえて自分たちの街をみると、子どものいる夫婦は団地の少し外に一軒家をもつか、団地よりもリッチなマンションに住んでいるようです(公園で赤ん坊と遊んでたら警戒心のない小学生男子がなついてきて、なぜか初対面の僕を自分の家の前まで案内してくれました。でっかい車のあるいい一軒家でした。次あったら人を疑うことを説くべきだろうか)。自分たちは縁あって異常な安さで借家をかりて住んでいますが、その向かいには数年前に建てられた一軒家が4軒ほど並び、どの家も30~40代前後の夫婦と複数の子どもの家族です。団地の公園は、団地に住む子供たちの遊び場ではなく、そういう家の子たちの遊び場になっていたわけですね。

幼い日に団地で育って友達と団地の公園で遊びまくってた自分としては、少子高齢化と育児の贅沢品化とでもいいたくなる時代状況がこの数十年のうちに団地なるものの姿を大きく変化させたことを目の当たりにして、すこし衝撃を受けたのでした。