ネオたぬ記

読んだ本の感想。見聞きしたこと。

遺品整理

10年以上前に亡くなった恩師の家の片づけに行ってきました。

 

奥様が亡くなり、これが最後の機会ということで少し形見分けに参加したのですが、久しぶりに先生のことを想い出しました。高校生時代からの学生運動家だったのですが、亡くなる際には大学行政の要職についていました。政治的・学問的スタンスは一貫していたはずですが、死後につくった追悼文集をぱらぱらとみていると、同僚の左派の先生方からは諸手を挙げて評価する、とまでは言い切れない追悼文がちょこっと混ざっています。潔癖で、基本的には好かれ、尊敬されていた先生でしたが、同僚とは大学のあり方をめぐって意見がぶつかることもあったようです。特に意見が割れたのが、教員評価制度をめぐってだった様子。教員評価制度が大学自治の破壊なのか、大学のために必要なものなのか。先生自身は、大学自治のためには一定必要な制度であると考えていたようです。

本人から話を聞く機会を持てないまま亡くなってしまったのは残念なことですが、先生の初期の研究には、大学行政でそのような立場をとったことと関連するようにみえる、独特の「自治」へのこだわりがあったように思います。自律や自浄作用の評価、またはアナーキーな秩序観とはだいぶ違う、権力の集中への関心など。もしかすると、先生の教育大時代の学生運動の経験が影響しているのだろうか、などとおもったり。僕の一番最初の研究を妙に気に入ってくれていたのも、そうしたところが関係していたようにも思います。

大きな対立構図、大きな権力との関係では「自由」、「解放」といった言葉が意義を持ちますが、先生は政治的にはそのような立場にいつつ、それだけではありませんでした。なんとも窮屈な、リラックスのできない「自治」や規律を重視していたように思います。先生の古い友人から昔話をきいていると、学生運動の経験というだけでなくもとからの「気質」がそうさせたのかもしれませんが。師匠筋の人々は、よりはっきり国家や政治に関心をもつ人から、代々続くアナーキストみたいな人まで色々なタイプの先生がいるのですが、亡くなった先生にももう少し話を聞いてみたかった。あまり現代の話を喜んでするタイプの人ではありませんでしたが。

生きている間にもっと突っ込んで話ができたらと考えることはありますが、学部生に毛が生えたくらいの自分には無理だよなぁ、とも。死人に口なし。しかし、読み返せる本は遺してくれた。せめて、たまに思い返して思考の糧にさせてもらおうと思います。