ネオたぬ記

読んだ本の感想。見聞きしたこと。

育児の日々

なかなか本をしっかり読めない。

 

持病の治療とその疲れやらもあるのだけど、なにしろ人生初体験中の育児である。なんなら一番まとまって本を読めたのは治療のための入院中。ちょっとした時間で読むことはあるけれども、読めてもメモはとれないし、ハズレの本も多いしでなかなか読書ノートにはならなかったります。

とはいえぼーっと過ごしているだけかと言えば、むしろいま子育てをするという幸運に恵まれ、目の前のぷにぷにした生き物とともにいろいろと学んだり、考えてみたり。忙しいけれども刺激的で楽しい日々です。そしてとにかくわが子が可愛い!

 

会う人会う人に親バカ満喫中と言われ、またそれを自認してもいる私です。子どもが生まれてくる前は育児のきつさを強調する文章も結構読み、すこしビビってはいたのですが、生まれてきて数か月、今のところはとにかくかわいく、幸せな感じです。生後数か月の子育てについては、ものすごい子ども好きな姉ですらつらくて涙が出たといっていました。またこの前遊びにきてくれた頑強な心身を備えた温厚な先輩も「仕事の方がずっと楽」と。

仕事と育児のどちらが楽かというのも人によって違いそうですが、姉が自分より軟弱であるとか子育てが苦手であるいうことは到底考えられないので、やはり状況の違いが大きいのでしょう。仕事ややりたいこととの兼ね合い、育児の位置づけ、子育てを開始した年齢などいろいろ関係しそうな論点はあると思いますが、とりあえずワンオペか否か、というのは物理的にも精神的にも大きな違いだな、と思います。幸か不幸か今までのところ我が家はほぼ完全な2オペ体制でやってこれました。2オペであっても読書を含めたほかのことがなかなか難しい生活なわけですが、それでもワンオペとは本当に違う。なぜそんなことを確信しているかというと、この一週間ほど妻の仕事ラッシュで自分がワンオペを経験したからですね。そしてこれがなかなか大変。全く目が離せないし、そもそも坊の視界から自分が消えると数十秒のうちに「どこにいったの?」と騒ぎ出す。くいしんぼうなくせに、これまで完全母乳でやってきたものだから、哺乳瓶を与えようとしても「これじゃない!」と嫌がったりする。そんな姿もかわいいんのだけど。とにかく完全にぼーっとする時間がありません。ピンポイントでベビーシッターを雇うべきかも考えたりはしますが、金もかかるし、それ以上に自分の性格的に知らん人が家にいるとそもそも休まらない。家族などよく知っている人間がみてくれているならいいのですが。

子どもがギャン泣きをしているとき、いろんな気持ちが同時に起こります。泣き顔もかわいいなぁ、何かが不快なんだろうな可哀そうに、どうしよう泣き止まない、大きな声が耳に響く、抱っこし続けで体が疲れた、などなど。基本的にはそれらの気持ちは「かわいい」のもとに統合されているのですが、ほかの気持ちも在ることは確か。ワンオペ時には、軸が他に、特にネガティブなものにズレやすくなります。人と一緒だとちょいちょい休める上に、その辺の気持ちのコントロールが楽なんですよね。家族と「泣き顔かわいいねぇ」とか「どうしたんだろうねぇ。たぶん眠いんだろうね」などと話していると気持ちも余裕。姉の場合は育児の際に夫がおもいっきり働いていたはずなので、完全ワンオペはつらかっただろうなと思います。「夫、早く帰ってきて~って毎日思ってたよ」とは姉の弁。

あとは、子育てに取り組むことが今の自分の生き方だ、と思えるか否かというのも育児を楽しめるかには決定的だと思います。もし20代で子育てをしていたら、自分はここまでエンジョイできていなかったでしょう。僕が本来やりたかったこととの関係で子どもを「足枷」ととらえていたかもしれません。子どもが欲しいと思い、子どもを育てたいと思うタイミングで子育てができていること、これは非常に幸運なことです。子育てということにどれだけの人生的価値があるか、社会的価値があるか。どちらにおいても非常に重要な価値がある、と確信したタイミングで子育てができているのは、子育てを楽しむという意味ではやはり幸運というほかないです。

 

とはいえ時間がないのをどうにかしたいも事実。本を読むタイミングも文章を書くタイミングもなかなかないのは、精神衛生上よろしくないのでちょっとずつ改善していきたい。師匠が言ってくれている研究会もやりたい。そもそもこんな雑文を今書けているのは、この間ハードに過ごした影響か昨夜から発熱⇒抗原検査で陰性ではあったが念のため一日子どもを自分の両親に預けた、という状況で幸か不幸か突然空き時間ができたからです。病弱な身ゆえ、空き時間がイコール生産的な時間になるわけでもありませんが、読むなり書くなり、ちょっとずつでも生活に組み込みなおしていけたらなと思います。